価値観の違いを受け入れる

人はみんな違うのだから、物や出来事に対する価値観は人の数だけあるというのをちゃんと理解しておく必要があると思います。
価値観は共有しても、押し売りしてはいけないと思います。相手が受け入れてこその共有だから。そして、価値観を否定する必要も無いと思います。「私はあれが好き」という言葉に対して「私は嫌い」。価値観を否定された気になりますよね。好きだと言っている人に対して、嫌いと伝える意味はなんでしょう?

私は「COBOLが嫌い」と言い回っていた頃があったんですが、ある時「COBOLが好きな人がその言葉を聞いたらどうおもうと思う?」と当時の上司に言われて「はっ」と気づきました。結局自分は苦手な事をやっていて、誰かになぐさめて欲しいからそう言い回っていただけなんだなと。COBOLがすごく好きな人にとっては、自分すら否定された気持ちだったでしょう。その事があってから、自分が言う「嫌い」というのは結果論でその前には大抵「苦手」というのがあったと気づきました。何かが自分に合わなくて、その差がふくれあがって不満と一緒になると「嫌い」となってしまう。嫌いというのは苦手な事を拒否する言葉なのかもしれません。ちなみに今はCOBOLの苦手要素を克服して、やっぱりCOBOL最強?なんて思う場面もあります。COBOLが苦手だった理由はとても単純で、うまく扱えなかったから苦手なだけでした(^^;

さて、価値観の話に戻るとします。例えば映画を友達と見に行きました。映画を見終えて「楽しかった」という価値観が共有できても、細かい点で「あれがおもしろかった!」「えー、そこはつまんなかった」という会話が展開されたとします。自分の発言を否定された側はどう感じるでしょうか。ちゃんと分かってる人は大丈夫。「そっかー、俺はおもしろかったよ。君はどこがおもしろかった?」とちゃんと相手の価値観を受け入れられます。そこでもし共感できる部分があれば会話が弾むでしょうけど、相手の価値観を受け入れられない人は最初の会話できまづい空気が流れて会話が途切れてしまいます。もっと分かりやすい例は「あの場面好き」「えっ、あれ嫌い」。一撃で沈黙でしょう。

最初から全ての価値観が一致している人なんていないでしょう。価値観の違いを受け入れて、お互いを尊重し、歩み寄る姿勢を取れないなら、きっと些細な喧嘩が大きな喧嘩に発展しちゃうでしょう。何も考えずに自然にいけば大丈夫なんていうのは、それこそその部分のお互いの価値観が一致していなければ難しい事です。人との付き合いは自分の事だけ考えていても、相手の事だけを考えていても駄目で、「自分の事」「相手の事」「お互いの事」。この3つをバランスよく考えられなければいけないんだなと思います。

あたりまえでしょ、簡単でしょ、なんでできないの。その言葉、相手はうなづいていますか。