教えてクンと聞かないクンの境界

知恵を出し合えば、物事必ず進むんだなーって思いました。昨日の今日でえらい進展です。

今回、仕事が全く進まなくなったのは、私が聞かないクンだったからです。自分でできる事はとことん自分でやろうなんて思っていましたが、聞く時はサクっと聞いた方が良いって事を痛感しました。1週間近く一人で事を進め、お手上げ状態になった所で、「やるだけの事をやりましたが、私一人では無理のようです」。と報告を上げました。その途端、いろんな人が動いてくれて事が進み始めました。

自分が教えてクンになるのは不本意なので、やれるだけの事をやってから質問しようというのが信念でした。ただ、今回は1週間近くも一人で検証し続けたのは間違いだったかもしれません。信念というよりちっぽけなプライドが邪魔をして、多くの時間を費やしてしまいました。教えてクンにならないように行動した結果が、あまりにも極端すぎて、逆に聞かないクンになってしまいました。これでは本末転倒ですよね。

でもそのおかげで、調査を一緒にしてくれる方々に「これこれこういう事がしたい、こういう事をした結果、こういう風になったが、本来はこうならなければいけない、原因はここにあると思う、代替案はこれとこれがあるが、どうしたらいいでしょう」と自分が調査した内容、考えられる原因、代替案を提出する事ができました。この報告には私がつぎ込んだ多くの時間が有効に反映されていて、必ず役に立つと思っています。

どこまで努力すれば、教えてクンでなく、どこから聞いたら教えてクンなのか。最初から聞いたら教えてクンなのか。どこまで聞かないと聞かないクンなのか。そんなの明確な境界線なんてありません。努力したから教えてクンじゃないと思うのは自己満足かもしれません。ようは物事を聞いた相手が、聞かれているという事に対して不快な思いをするかしないかです。「あ、こいつ努力してきてるなー」って思ってもらえて快く知恵を貸してもらえれば、それでいいんです。そしてできれば、知恵を貸してもらう時の助けになるように、自分の努力の結果を伝えたいものです。逆に「こいつ何もしないで聞きにきたなー」って思われたらもったいないわけです。そんな事関係無しに聞けばなんでも快く教えてくれる人がいますが、それが優しさならいいんです。それが甘やかしだったら困ります。「聞けばすむ」と思ってしまう人がいるから。

人に物事を聞く時は、話す準備と聞く準備を両方する。その準備とは聞きたい内容を自分なりに調べる事。調べた結果を携えて聞きに行く。どれだけ準備に時間を費やせばいいかはどこにも定められていません。その時々なのでどこまでが適切かというのは分かりませんが、最終的な結果が満足できれば無駄になったとは思わないでしょう。今回、私は多くの時間を費やしましたが、結果的には無駄になったとは思っていません。むしろ様々な事を知る事ができました。様々な事を知る時間があった事をうれしく思いました。