嫌いは好きを反対

タイトルは間違いじゃありません。わざとです。私の昔話です。私はCOBOLがとても苦手でした。大文字も、全角も、XXX DIVISIONもなにもかも苦手でした。プログラミングの基礎知識も無い私が、卓上デバッグから始まり、資料も無いまま真っ黒い画面と向き合って、ラインエディタでCOBOL書いてたんです。右も左も分からず非常につらいと思っていました。そんな中、毎日毎日「COBOLなんて嫌いだー」って言ってたんですよ。そしたらある時優しい上司に言われました。
「正直なのは良いけど、好きな人もいるんだからね」
と。一撃で分かりました。COBOLの事が好きな人の前でCOBOLが嫌いと言う私の発言は、COBOLが好きな人にとってどんなに不愉快な発言だったのかと。

例えば皆さんがJavaを好きだったとします。その貴方を目の前にして「Javaなんて大嫌いだ」と言われたらむっとしませんか?自分が好きな物を否定されるのはおもしろくない事です。人のものをけなしているのと似たようなもんです。好きなものを否定されてうれしい気持ちになることは無いでしょう。だから、やすやすと嫌いだなんて言うのは良くないな。と思った出来事でした。今、私はCOBOLは嫌いではありません。やればできると思っていますが、Javaよりやりたいかと言われると、今はJavaのほうが好きです(^_^;。当時私がCOBOLを苦手だと思っていたのは、資料がなくてやりたくてもできなかったからなんです。やりたい気持ちが先行しつつも、どうやっていいかわからないもどかしさから、そういう苦手意識につながったんだと思います。今思うからこそこういう理由付けができるんだと思いますけどね。

嫌いになるには理由がある。それは自分がうまく扱えないからとか、なんとなく肌に合わないからとか。結論のみを口走っているととても悪い印象をばら撒くことになり兼ねません。ここは素直に自分の気持ちを打ち明けるのが良いでしょう。「苦手なんです」「うまく扱えなくて悔しいんです」「どうも肌に合わないんです」と。嫌いと断言されるより全然良いでしょう。結論に至るには理由や過程があり、その理由や過程を素直に伝えた方が良い場合がある。そんな一例でしょうか。苦手と嫌いじゃえっらい差があります。恋愛で考えてみると…「あんた嫌い」「あんた苦手」…全然違いますね(^_^;