物を使う

#後記:後半既にポエム状態(w
使われる物の事を考えて使うのは当たり前。物には使い方がある。使い方を間違えたら本来の機能を発揮できず、下手をすると壊れてしまう。あたりまえの事なのに、少し視点が変わっただけで忘れてしまう。ボールペンの使い方を知っていて、シャーペンの使い方を誤るのは初めての時は良い。ボールペンのように力を入れたら”芯が折れた”。一度経験すれば十分でしょう。

使えるもの全てに使い方がある。使い方を誤った結果、使うものを責めるのは負け惜しみじゃない?強く書きすぎて芯が折れた。芯のせいにする。本質はシャーペンの使い方を知らなかった側が悪い。芯のせいにするのは責任転嫁して安心したいだけ。さらに卑下し”このシャーペンは駄目”と撒き散らす。そして新しいシャーペンは前より使いにくいのに高い評価を与える。”前のより良い”と。単純に”前のが悪かったから、次のは良い”というプライド・意地から来る評価だ。前のシャーペンは捨てられる。捨てる神あれば拾う神あり。シャーペンはいつしか違う人の手に渡りとても良い結果を残す。最初の持ち主はそれを見て、それ良いな、よこせよと言う。そしてまた言う”前のより良いな”と。それは最初に手に取ったシャーペンなのにね。隣の芝は青く見えるが、実は自分のものだったと。

気分次第で使い方はどうにでも変わるし、ものの見方も変わる。人がうまく使っていれば欲しがるし、自分がうまく使えなければ捨てる。結局変わっているのは使っている側で、使われる側は変わってない。ものが生み出す結果は使う側によって変わる。

ちなみに人を使う話ではありませんので。私は人を使う立場にはありません。どちらかというと使われるかお願いする立場です。人は使うもんじゃないですよね。一緒に協力してもらったり、助けてもらったり、手伝ってもらったり。支えあうもんですよね(などとなんだかクサイ事はリアルじゃ言えません…)。