知っていると知らない(via:否定から入る)

財前教授の影響その2とも言える(笑)
知っている事と、知らない事は、単純な優劣の関係じゃないと思う。知っている人が知らない人を否定するのはすごく簡単だし、否定から入りたくなる。相手の駄目な所がよく見えるから。しかし、それに対して怒るのは間違っていると思う。

赤ちゃんがおもちゃを口に入れるのは、それが良いことか悪いことか知らないからで、それに対して怒っている親はどうだろう?よく怒ると叱るは違うといいますが、まさにそうでしょう。知らない事を教えてあげて、正してあげた時赤ちゃんは泣いていますか?笑っていますか?まぁ赤ちゃんを例に取ると何しても泣かせてしまう気がしますが、それが大人だったらどうでしょう。

言われている事を誠実に受け止めて努力していくのか、腹を立てたり、怒ってしまったり、すねてしまったりするのか。その背景に優劣が見え隠れしていませんか。威圧的ではありませんか。学生時代先生の教えに腹を立てる人がいたでしょうか。先生は教えているのであって、怒っても、叱ってもいません。やる気の無い人は損をしていくばかり。やる気のある人はそれなりの成果が出る。テストの成績が悪くて追試や講習をやっている時、それは自分を否定されさらに教えを受けている時、怒っている人はいるでしょうか、腹を立てている人はいるでしょうか。もちろん先生に対してです。自分に対して怒っていたり腹を立てている人はいるかもしれません。

知らない事を教える時、優劣の関係を出さず、先生と生徒になれればやる気のある人は延びていくし、やる気の無い人は損をしていく。そこに優劣の関係を感じさせないのが肝かもしれない。学校の先生はとても分かりやすい。先生と生徒の間で優劣を感じさせる事は無いから。先生は自分の立場を生徒と比較して自慢するような事が無いからかもしれませんね。少なからず私が教わってきた先生方はそうでした。

見当ハズレな事をグダグダと言っているのかもしれませんし、本当によく知っている人は反感や苛立ちを覚える事でしょう。浅はかな所、未熟な所も顕著に分かるはずです。それは私が未熟者だからということで、是非教えてください。世の中の誰もが先生です。

#その前に文章をもっとうまくまとめて短くまとめる練習をしましょう…。