無くても良い設計書は作らない

プログラムを作るために用意する設計書。プログラム作る上で必要無いなら作らなくてもいいじゃん。

実は私が担当したシステムで最も重たいいくつかの機能。詳細な設計書書いてないのに、出来が良い。本当は書かないといけなかったんだけど、時間が無くて…と開発が終わった今更言い訳してます。プログラムの構造レベルの設計書が無い代わりにとにかくIN/OUTと画面の動き(仕様)を説明した仕様書を充実させました。

設計書があるとそれどおりに作ろうとする。机上で書いたプログラムの構造なんて実際に作ってみると無理があったりするもんだ。でも言われた通りにしか動かない人にとっちゃそれが間違っていようとその通りに作る。だったらそういう部分は最初からプログラマに任せたほうが良い。

ついこの間終わった2次開発も、実は設計書書いてない。だけどとっくに開発は終了し、間違いがほとんど無かった(全く無いとは言えなかったけど)。納品物件に指定されているという理由で今書かないといけない。プログラムからリバースして書いてます。こうなると設計書というより保守用のドキュメントですね。

いらない設計書は無くてもいいのだ。

設計書は要らない事がある。私が充実させたのは仕様書で書かなかったのは設計書。設計はプログラマにまかせたという事。設計の結果を記すのが設計書。設計の結果がきちんとプログラムに反映されたなら、設計書は無くても良かった事になる。でも納品には必用だから設計の結果(プログラム)を見ながら書類を起こしているのが今。

こんな莫大な量誰も見ない気がする。というのは毎度思う事だったりする(´・ω・`)