アサリ物語

私が砂の入ったアサリが苦手だったのを、アサリそのものはウマいものだと気づいた物語(笑)
必要だから楽しんでいるという事場を見る。これは少し嫌かも?ちょっと考えさせられた。

言葉を入れ替えただけで随分と印象が違うと感じた。「楽しむ事が必要」「必要だから楽しむ」後者は無理に楽しもうとしている感じを受ける。いかに楽しむかとかならいいんだけど。

最初から楽しい事も、つまらない事も無くて、そこにはただ何かがあって、自分がそれをどう認識するかにかかってると思う。興味のない事、苦手な事はいきなり楽しい事とは見れないだろうし、興味のある事、好きな事はすぐに楽しいものと見れると思う。じゃ苦手な事を楽しい事と見るには?

苦手なものはマイナスの面にばかり目がいきがちだから、プラスの面を見つける所からなのかな。教わる・発見・閃き。

なんとなく思い出した私のアサリ物語(なんだそりゃ)。私が苦手なもののひとつに「砂の入ったアサリ」がある(笑)私は小さい頃にアサリを食べた時に、アサリの中に入っていた砂をおもいっきり噛んで「ジャリッ」といって泣きそうになった事がある。それ以来どうもアサリが苦手になってしまった。最初の経験以降、私の味噌汁に入っているアサリは父親へパスし、具の無い「アサリの味噌汁」を飲むようになっていた。

でもある時気づいた。アサリを取り去った味噌汁をなんで私はおいしそうに飲んでいるんだろう?と。アサリはうまいのだ。好きなのだ。ただ”砂が入っているアサリ”は苦手なのだ。”砂が入っていないアサリ”は好きなのだ。それから砂抜きをお店のアサリが売っているコーナーの広告(?)で知って、アサリの味噌汁を作る時は生きた状態で買ってきたアサリを塩水に入れて暗い所に数時間置いておく事にした(砂抜き)。それによって、ベロ(?)を出したり、水をピューッ吐きながら、ついでに砂も吐き出すという現象を見る事ができた。以降味噌汁もアサリごとおいしくいただけるようになった。たまに砂吐いてない奴がいて「ジャリッ」と来て泣きそうになるけど(T^T)

良い所はきっとある!というかいっぱいある!