物事を対にして考える

例えば上司に怒られたとします。怒られた側は「上司は私を怒る人だ」と思うでしょう。しかし、そこで反省しようと考えると「私は上司に怒られる人だ」とも考えられるわけです。
常に被害者になろうとする人がいますよね。私は誰々に何々をされたと常に自分の立場から相手を見ています。そういう人に限って自分を変えようとしなかったり、問題を認識して解決しようとしなかったりするので、そこで気づいて欲しい。「あなたは誰々に何々をされた人」であり「誰々に何々をされる人」でもあると。一方的に被害者を演じる事により、問題に向き合わない。自分を見ようとしない。相手のせいにする。なんだかもったいない気がします。

先ほどの上司の例で言うと、怒られた側が被害者意識を持っているかもしれませんが、部下を怒りたくないのに怒らなければならなくなった上司の方が被害者かもしれませんよ。自分の立場のみで相手を見るか、相手の立場になって自分を見れるか、両方の立場を均等に考えられるかが問題と自分を見つめる足がかりになると思います。

だからと言って極端に相手中心の考えになったり、自分中心の考えになるのは良くないですね。よく言う客観的に見るというのは第三者の目ですから、自分でも相手でもどちら中心でも無く均等な立場で考えているという事になります。

私は思考型の人間なので考えて行動しますが、何も意識する事なく自然に振舞えるようになりたいものです。私の性格からして、それを実現するには考えて実践して慣れてしまうのが一番早い気がします。だから考えるんです。だから実践してみるんです。考えずに行動してる事も多々あったりしますけど、それは大抵直感によるものだったりするので、ある意味自分らしさを出している時かもしれません。

書き忘れちゃいましたけど、前向きに物事考える方が何かと良いです。上司に怒られる自分というより、怒ってもらえる自分と考えると、実はすごーく貴重だったりします。デスマで苦労している自分。画期的な開発手法や、人工知能によってデスマがこの世から絶滅した!なんて言ったらもう体験できない事ですから(ぉぃ)ものは考えようって事です。せっかく前向きになってる人の出鼻を絶妙なタイミングでくじく人もいますけど(^^;。本人が前向きに取り組もうとしてるんだから、間違いを指摘するのは良いとしても、自分がその考え方を気に入らないからと言ってその人を否定しちゃうのはやっぱり自分中心に物事を考えている人。

物事の価値を決めているのは自分ですから!視点を変えれば悪い事ばかりじゃないはずですよね(^^)