好きか嫌いか

#久々にわけわかめモード(苦笑)
この質問に対して「嫌いでは無い」と応える場合、それは好きという事なのか?解釈の仕方は人それぞれでしょうが、私なりの一つの解を述べるなら「知らない」だ。つまり、好きか嫌いかそれを判断するための情報を知らないのだ。

例えば貴方の前に見知らぬ物が提示され、好きか嫌いかと尋ねられた場合、貴方はどう応えるでしょう?「好きか嫌いか」と聞かれているのだから「好き」か「嫌い」と応えるのが正しい質疑応答だ。しかし、どっちとも言い切れない、好きでも嫌いでも無いから提示されている単語をあいまいに使用して「嫌いじゃない」と応える。なぜ「好きじゃない」と応えないのか。それは「嫌い」に直結した言葉だからだ。同じあいまいな表現でも、結果的に「好き」につながる「嫌いじゃない」と、「嫌い」につながる「好きじゃない」は大きく意味の受け取り方が変わる。日本人的あいまいな表現と言った所でしょうか。

私は「嫌いでは無い」の本質を「知らない」と無理やりこじつけて、ある話を展開しようと思う。あるものを好きだと明言していない人に対して、同意を求めないのはもったいない。その人は知らないだけなのかもしれないから。同好の士が必ずしも貴方と同じレベルとは限らないのだ。私はこれが好きだ。貴方ははどう思う?これしきの雑談は誰でもできるだろう。そこでドンピシャな反応が返ってこなくても残念がってはいけない。知っている人は貴方の求める反応を返してくる可能性があるが、知らない人はそこで初めて興味を持つからだ。そのままズルズルとハマっていって、いつの間にか同好の士になる可能性を秘めている。ズルズルと落ちていくかどうかは、貴方が落とし込もうとするかどうかにもかかっている。語れる相手を求める場合と、語りたい人と語るという場合があると思うが、ほとんどの場合、「語れる相手」を求めるだろう。では「一緒に語りたい人」に同好を求める事はしないのですか?それは求めるものでなく、自然と身に付いたものに対し、同好の意思を交わす事が自然だと思っていたりしませんか?もし、自然と身についていないものに対し、意図的に同好の意思を持たせるのは、同好の無理強いだと感じますか?相手が望まないならそれはお節介ですが、相手が望む場合、知らない事を知りたいと願う場合は、教えてあげましょう。貴方の感じるそのもののすばらしさを。そこで共感が生まれるのならば、晴れて同好の士となるでしょう。