コミュニケーションギャップ

ある人がある人に説明をしています。聞き手は相手が説明している内容が理解できず、話し手は相手が理解してくれなくて困っています。話し手の内容を第三者にすると理解してくれるので、聞き手の判断力が弱いのではないかと思っています。がしかし、私から見れば話し手の説明の仕方が悪いのです。聞き手に解かるように説明できていないからです。解かる人に解かるように伝えるのは簡単ですが、解からない人に解かるように説明するのは難しいです。

その一例が仕様書です。仕様書を書く人は業務の内容をよく理解しているので、仕様書を書くとどうしても説明に抜けが出てしまいます。そのような仕様書を実際にプログラマへ渡すと、理解できない事が多くて、仕様書を書いた人に多量の質問をします。仕様書を書いた人はなぜ解からないのか?と苛立ちを覚えます。なぜそこで、書き方が悪かったというのに気づかないのでしょう?自分は解かってしまっているので、若干省略した形でも理解できてしまいますが、第三者は語られていない事を保管する知識がありません。この事象を表現するのはツリービューが適しています。

業務内容を把握している人が書いた仕様書をノードが展開されていないツリービューとしましょう。プログラマはその仕様書を受け取った時に解からない所があります。それを質問して出てきた回答が、ノードを展開した状態です。全ての質問が終えた時、ようやく全てのノードが展開され、全貌が見えます。説明する時はなるべくノードが展開されている状態で相手に伝えたいものです。ノードが閉じている状態を説明した所で、うまく伝わりませんし、それが文章となったとしても解からない所だらけです。

仕様書に1行だけ「XXをする」と書いてあったとして、業務内容を理解している人はどうやれば良いのか解かりますが、知らない人にはどのように実現すれば良いのか解かりません。これがギャップでしょう。解かっている人には解からない人の気持ちというものが理解しにくいものでしょうか?少し気をつければ必ず解かるはずだと思いますが、相手の事を考えないで書かれた仕様書はとても解かりづらいです。

つまり、相手の事を考えて、伝える努力を怠らないようにしましょうという事です。なんで解かってくれないの?と苛立ちを覚える前に、まずは自分の説明の仕方を反省してみれば、きっと良い方向に事が進むでしょう。