能力を身に付け、知識を乗せる

また思いつきです。ある動画を見ていて思いました。絵を描く能力が欲しい。過去何度か絵描きになりたいというのは書いた気がしますが、この能力って時代に左右されるものじゃないから一度習得して忘れなければ一生モノじゃないですか。絵と言っているのは単純なアニメの話で、作図の方ではありません(でも作図の能力も欲しいと思っています。というより必須となってきています)

こう思った時に例えばJavaの”知識”なんて1年先はまだ大丈夫でも、5年、10年と考えると分からないわけです。その時を生きるための知識としては必要だけど、それは生涯使える能力にはならんのです。もちろん一生モノの能力をJavaを用いて得る事はできますが、Javaだけにフォーカスした場合は生涯使えるとは思えません。私はプログラミングをする知識と能力にJavaの知識を乗っけて我々は仕事をしているんだと考えます。だからベースとなるプログラミング能力というのは言語がいくら変わたって関係無いと思っています。私が言語に壁は無いと思う一つの理由になっているように思います。

なにかをやるためには、ベースとなる能力と知識が折り重なってやり遂げるわけですけど、ベースは変わらず上に乗るものがドンドン変わっていくっていうのはよくある話。例えばゲーム機本体はしばらく変わらずにソフトはどんどん変わっていく。時代と共にゲーム機本体も変わっていきますが、本体にソフトにコントローラという組み合わせはずーっと変わっていません。プログラミングも言語は時代と共にコロコロ変わるし、中には相当寿命の長い言語もいる。でもベースとなる能力はキーボードを叩くというのは変わっていません(ぇ)。もといプログラミングの手法は構造化だのオブジェクト指向だの変わっていますが、入力・処理・出力という形は変わっていません。

総合して、いつまでも変わらないものを少しずつでも良いから実に付ける。付ければ付けるほどその能力を使える場面が増えるってことです。最も単純と思われる能力は、身体能力。これは維持する必要がありますが、一度身に付けた能力はそう簡単に消えません。タッチタイピングで秒間3文字打つ能力を身につけたら、それはしばらーく使えるわけで相当役に立ちます。これはすごく単純な例でしょう。私は以前”今年の目標をあげよ”と言われた時に既に”身体能力の向上”と書いていました。そのうちの一つに速読のレベルアップなんかもありましたし、問題解決の方法や、思考に関するものも含まれていました。考え方なんかも一度身に付ければしばらくはメンテナンスしながら使えるもので確実に長期に渡って使えます。

私は長期に渡って使える能力を身に付けようと思っていました(今も)。これは常に努力しておけば年月を追うごとに能力が積み重なっていくからです。短期的なものは身に付けてもすぐに消えてしまうが、覚えれば覚えた分だけ積み重なるものは違います。ずーっと使える。そうなると”いつ”それを始めるかによって歳食った時に能力の厚みに違いが出ます。私はそんなに社会人経験が長いわけではありませんが、同い年の友達とは明らかに違う視点と経験を持っています。それは短い間ではありますが、私の方が先に社会人になっているからです。高卒と大卒の差が4年。たかだか4年、されど4年。私の4年間を追い越すのは今は簡単で無いはずです。同じ年月はかからないとしても、ごくごく限られた期間で私の経験を越す事は無理です。その差は私が努力を怠らない限りそれなりの期間続くものです。人は短い時間の中でもたくさんの事を学べる。だから少しの時間の努力を積み重ねた結果はかならず未来に響きます。長い間社会人をやって、ふと隣の人と自分を比べた時、どれくらいの差があるでしょう。私は同じ土俵にいながら、大きな差を付けられるのは悔しいです。それはその人より努力、実力、運が足りなかったという事だから。

よく言う言葉ではありますが、後で後悔しないためにも、今をがんばる。”今”それを考えても実感沸かないのはごく普通の事だと思いますが、過去を振り返ってみると”あの時もっとやっていれば”と悔やむ事が必ずあると思います。私は”学生時代もっと勉強していれば…”なんて思いますが、社会人になって最初の3年間は意外と大きな悔いはありませんでした。がむしゃらに働いてボロボロになっていたから悔やむ余地が無いのかもしれませんが。過去を振り返って今を見定める。未来で現在を後悔しないためにも今をがんばると。

そう思うと私は全然努力が足りません。やりたい事ができていませんから。実務で忙しいと言って、本当にやりたい事が実現できていない。ある人の言葉で「やりたいなぁをコツコツ進めて形にする人がスゴイんだよ」というのがあります。その言葉を聞いて私はやりたい事は山ほどあれど、結局形にまでなったのはどれだけあるんだ?と。小さな時間を作ってでもやりたい事を進めている人は本当にやりたいからやってるんです。やりたいなぁ止まりの人は意思が弱い。他の忙しさやツラサに負けちゃってます。だから私は今は負け組みです。本当に時間が無い人なんて居ないはずです。私だって忙しいと言いつつも今現在日記を書いている時間はあります。これを本当にやりたい事に割いたら少なからずやりたいことを進めている事になります。でも今の今やりたいのは日記を書く事なんです。いっつもやりたいと思っている事より優先度が高くなっているからです。

本当にやりたいならやれば良い。形にできない人が多いからこそ、形にできたらそれはすごい事。本当にやりたい事はありますか?本当にやりたいんですか?だったらやりましょう。やれば良いじゃん、やりたいんだったら。そこで”だけど、でも”じゃ駄目。ほんとに難しい事だけど、単純な思考で本当にやりたいんだったら、何かを犠牲にしてもやるでしょう。それができないなら、それほどやりたくない事のはず。私は睡眠時間を削ってまで今日記を書いています。なぜ睡眠時間を削るか。睡眠時間を削らないと日記を書く時間が無いから。簡単でしょう?昼間の時間を切り詰めて、仕事の効率をもっと上げて、もっと早く帰って日記を書く。そんな起用な事できないから、睡眠時間削ってるんです。でも本当にやりたいなら、これくらいやりますよね。このツケは必ず後で返ってくると思っていますけど…。

#スッキリしたー(笑)病み上がりからようやく完全復活ですかね!